けあるんにちは、けあるです。
先日、とある戦士さんが公開した日記が話題になり、わたしのツイッタータイムラインでも「灰色」という言葉が飛び交いました。
レイドに縁のない人には「何のこと?」でしょうが、簡単に説明すると、FF14非公式の「上手さランキング」のようなものが閲覧できるサイトが存在し、上位からランクごと色分けされるようになっています。
そして、「灰色」というのはランキングの下位の人たちに付けられる色。つまり「ヘタクソ」の部類に位置するということです。
話題になった日記では、レイドコンテンツにて他者に「あなたは灰色です」と指摘されてしまったこと、「灰色は灰色なりに努力をして悩みを持ちつつクリアを目指して頑張っているのだから、心無い言葉をいうのはやめてほしい。」ということが書かれていました。
さて。
「灰色(ヘタクソ)」って本当にいけないことなのでしょうか?
自身で出した結論を先に述べると、わたしは“現状が「灰色」であることは悪いことではない”と思います。
ただし、”「灰色」を脱する努力を怠ること”は悪いことであり、努力ができないなら”レイドをやるべきではない”と思います。
「灰色でもクリアできるならいい」という言葉をよく耳にします。
たしかに初回は良いでしょう。クリアをするだけならばギミックだけ理解して、クリア済みを固めた出荷PTでも構わないと思います。
しかし今後消化をしていくとなれば話は違います。
零式は8人の協力ゲームですが、これは決して「あなたの実力のなさを他の誰かが補えていればOK」という意味ではないと思うのです。自分の実力が伴っていないのであれば努力するのは当たり前です。それが灰色がするべき最低限の貢献です。少なくとも私はそういう考えを持っています。
たまにいるのが、他人の力を勝手に頼って、クリアできないと「PTガチャ」だの「魔境」だの愚痴り始めるくせに、自分が頼られる側になる努力は一切しない人。何なんだあの生き物。
とりあえず、「灰色でもクリアできるならいい」という考えを持っている限り、一生成長できないのは確かです。
現状が灰色であることは全く恥じゃない。努力しないことがいけないと思うのです。
例の日記主の日記には最初共感できず、「ンー」と思ったのですが、最近また見に行ったところアルファ踏破を再決意し空いている時間があればスキル回しを調べ、毎日木人を叩いて努力されているようです。
私と比べてどうのこうの、うまい人と比べてどうのこうのではなく、その姿をとても尊敬しています。
私もシグマは全層灰からスタートしました。初めて自分のデータを見たときは本当にショックでした。
でもたくさん学者の動画をみて勉強し、上手な人に「教えてください」と頭を下げて、いろいろな出会いと経験を経てやっとアルファ編で色が付いてきました。
それでも、(今の実力からすると)”良くできた”と思う回でさえ、オレンジ学者に動画を見せれば、指摘する本人が「こんなに言って大丈夫?」と躊躇するくらい膨大な量のダメ出しが返ってきます。
灰が灰じゃなくなったからといって、そこが終わりでもないのです。
今日も”昨日の自分”を超えられるように、場所は違えどお互い上達できるよう一緒に頑張っていきたいですね。
以上、「灰色はいけないことなのか?聞かれてもいないのに自論を展開するブログ記事です」でした。
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